あめふりびより

雑念置き場

ペリカンコイン

昨日くらいから右耳が聞こえずらい。恐らく風呂に入った時にシャワーの水が耳に入ったのでしょうけど何故かずっと抜けません。

 

これの厭なところはASMRを聴く時に右耳に音が寄ったりすると、全然声が聞こえなくて老人の世界を体験してるみたいになります。いや、本当に。

 

耳の水抜きみたいな商品あったらいざと言う時に便利だと思うんですけど、ないんですかね。ボクが資産家だったら作らせてます。いや、本当です。

 

それにしても耳が聞こえづらくなるというと、有川浩レインツリーの国を思い出します。この小説は耳に問題を抱えるヒロインとの交流を描いた作品なのですが、とてもボクの好みに合わなかったのを憶えています。

 

聾唖だったり伝音難聴、感音難聴など耳に問題を抱えてると言っても色々な種類があることを説明するのですが、会話がハリボテのようだったり、まるで著者が説教臭く語りかけてくるような作品のように感じて途中で読むのをやめました。物語性が乏しくてメッセージ性だけを追求した作品って結局心に響かないような気がしますけど、ボクだけでしょうか。ボクがひねくれているだけでしょうか。

──────────────────

ボクの住んでいるところは電車が4時間に1本で、バスは採算が取れないから20年くらい前から走っていないような場所です。地域のコミュニティは堅牢で、回覧板なんかがあるのですけど都会の人たちって回覧板っていう文化あるのでしょうか。なんとなく、都会って冷たくて淡白なイメージがあるので近所付き合いなんてものはなく、隣に住んでいる人についてあまりよく知らずお互いに興味がない、只々偶然隣に住んでいるだけ、みたいなイメージあります。都会に住んでる人、どうでしょうか教えてください。

 

どれくらい都会になれば近所付き合いから解放されんでしょうかねえ。ボクは一人暮らしで飯が食べれて家に住めて風呂に入れて洗濯が出来ればそれでいいな、いやかなり贅沢を言っているな。

 

それにしても、Twitterのいいねという機能は最高ですね。いいねだけで、共感だったり励ましだったり喜びだったり色々な感情を楽に相手に伝えることができます。ボクは頭が悪いので喋っているうちに何を伝えたいのか忘れてしまって、最終的に自慢だったり自己憐憫に帰着するのでお喋りだったりチャットだったりはかなり苦手です。ほらまた自虐だよ。それ以外に会話パターンないんですかね。ないですよ、虚っぽです。ぷかぷかぷかあぷかあ、クラムボン

──────────────────

もうかれこれ5年ほど足繁く通っているご飯屋さんがあるのですが、ご飯を食べているとき、ひどく恥ずかしく感じてしまいます。

 

というのも、大学で出来た友達と一緒に行ったことがあるのですが、そのご飯屋さんに行くたびに疎遠になってもう名前も顔も覚えていないその人たちのことを考えて辛くなり、同時にクソッタレな自分が恥ずかしくなります。

 

そもそも、5年も通っているとボクは店員さんの顔を全員把握しているし、だからこそ店員さんは同席している人と喋らずに黙々とご飯を食べに来ているボクという人間を認識していると考えるともう、たまらなくなります。まあ美味しいのでこれからも通いますけどね


今日は曇りのち雪でした